さて、(3階・中編)からの続きです。
続きの客室を順に探索してゆきますが、全く面白くも何とも無いので、
特に書く事も無く、いつもの如く無駄に多くテキトーに写真を羅列してゆきます。
「客室(326)」
「客室(327)」
「3階通路・その3」
「コ」の字型で構成された建物の「|」棟部分の通路を「通路・その3」とします。
この通路は結構荒れている。と言うか荒らされている。
「客室(328)」
何だ?この部屋だけ凄まじく荒れている!
まるで事故で粉砕された人間の肉塊が散らばっているかの様な惨状。
「客室(329)」
ここから先は、再び、荒れた普通の廃墟客室が続く。
「3階通路・その3」
通路をどんどん進みます。
「客室(330)」
「客室(331)」
「客室(332)」
「3階通路・その3」
通路は突き当たりで右に折れて非常階段まで続いている。
が、先ずは、突き当たり手前の客室へ。
「客室(333)」
「3階通路・その3」
通路最奥部分までやって来ました。
通路の突き当たりには、1階の広間まで続く非常階段があるが、
写真左端の壁に穴が空いているので、そちらを覗いてみると・・・、
・・・何だ?こんな所に隠し部屋が2つ!
確かに、2階ではこの部分にも客室はあったので、構造的には変では無いが、
いや、それよりも、変なのは、何故、板張りで封印されていたのかである!
「客室(334)」
非常に不可解ではあるが、取り敢えず、部屋を見てみよう。
特に何て事は無い、他の部屋と変わらぬ、荒れた普通の廃墟客室である。
「客室(335)」
そして、こちらは建物最奥部分に当たる部屋。
ベランダから、来た方向を望む。ベランダ部分が非常に長いですね。
そりゃあ、客室も多い筈である。そして、記事も冗長になる筈である(笑)。
こちらの客室も、荒れた普通の廃墟客室で、
やはり、何故、板張りで封印されていたのか全く分からない!
「3階通路・その3」
非常階段から、来た方を振り返る。写真右側の板張りが謎の封印区域。
この板張りが営業当時からの物だとしたら・・・、ここには一体、何が・・・?
逆に、廃墟化してから板張られたのだとしたら・・・、やはり野良人の隠れ家、か?
謎だ、謎過ぎる!真相を知る者がいるならば、是非とも詳細を教えて頂きたい!
謎の封印区域については考えても分からないので、取り敢えず、探索を進めます。
次は、写真左端の扉の先へ進みます。2階では、リネン室があった部分ですね。
もしかすると、ここで漸く、寮棟へと繋がっているのではないかと期待を抱いて
扉の奥へと進んでみると・・・、
「客室(336)」
・・・くっ、やはり寮棟とは繋がっていなかったか・・・orz
ここにも客室があったとは・・・。因みに、こちらは扉を入って左側の部屋で、
先程の(335)号室とは非常階段を挟んで反対側、建物の最奥部分に当たる。
この「|」棟部分の客室は7.5帖の部屋が続いていましたが、こちらは6帖。
因みに、この部屋に落ちている「サンスポ競馬」新聞の日付は、
平成13年(2001年)8月19日の日曜日。
「客室(337)」
そして、こちらの部屋は、扉を入って右側の部屋。
こちらの部屋は3帖しかなく、最早、物置である。いや、実際、物置と化している。
因みに、これが「ホテル 甚五郎」の記事に於ける最後の客室である。
無駄に長かった客室の探索もこれで漸く終わりです\(^o^)/
「3階通路・その3」
336号室&337号室前、及び非常階段前からの景色。
やはり板張りの封印区域の謎が気になりますが、通路を戻ります。
どんどん通路を戻ります。
通路左側には、2階と同じく、配膳室がある。
「配膳室(ボーイステーション)」
避難経路図には、"ボーイステーション"と表記してあった。
「3階通路・その3」
それでは、再び、どんどん通路を戻ります。
「エレベーターホール」
エレベーターホールまで戻って来ました。
因みに、「コ」の字型で構成された建物の「 ̄」棟部分には4階は無い。
4階が存在するのは、この「│」棟部分のみである。
故に、他の階では「中央階段」で上って来ましたが、ここでは、
この「エレベーター階段」で4階へ上ります。
「エレベーター階段」
この階段は、先述した様に、エレベーターをぐるっと一周囲む様な構造と成っている。
故に、階段を少し上って右へ折れ、更に上って右へ折れて4階へ。
ホテル 甚五郎(4階)へ
続きの客室を順に探索してゆきますが、全く面白くも何とも無いので、
特に書く事も無く、いつもの如く無駄に多くテキトーに写真を羅列してゆきます。
「客室(326)」
「客室(327)」
「3階通路・その3」
「コ」の字型で構成された建物の「|」棟部分の通路を「通路・その3」とします。
この通路は結構荒れている。と言うか荒らされている。
「客室(328)」
何だ?この部屋だけ凄まじく荒れている!
まるで事故で粉砕された人間の肉塊が散らばっているかの様な惨状。
「客室(329)」
ここから先は、再び、荒れた普通の廃墟客室が続く。
「3階通路・その3」
通路をどんどん進みます。
「客室(330)」
「客室(331)」
「客室(332)」
「3階通路・その3」
通路は突き当たりで右に折れて非常階段まで続いている。
が、先ずは、突き当たり手前の客室へ。
「客室(333)」
「3階通路・その3」
通路最奥部分までやって来ました。
通路の突き当たりには、1階の広間まで続く非常階段があるが、
写真左端の壁に穴が空いているので、そちらを覗いてみると・・・、
・・・何だ?こんな所に隠し部屋が2つ!
確かに、2階ではこの部分にも客室はあったので、構造的には変では無いが、
いや、それよりも、変なのは、何故、板張りで封印されていたのかである!
「客室(334)」
非常に不可解ではあるが、取り敢えず、部屋を見てみよう。
特に何て事は無い、他の部屋と変わらぬ、荒れた普通の廃墟客室である。
「客室(335)」
そして、こちらは建物最奥部分に当たる部屋。
ベランダから、来た方向を望む。ベランダ部分が非常に長いですね。
そりゃあ、客室も多い筈である。そして、記事も冗長になる筈である(笑)。
こちらの客室も、荒れた普通の廃墟客室で、
やはり、何故、板張りで封印されていたのか全く分からない!
「3階通路・その3」
非常階段から、来た方を振り返る。写真右側の板張りが謎の封印区域。
この板張りが営業当時からの物だとしたら・・・、ここには一体、何が・・・?
逆に、廃墟化してから板張られたのだとしたら・・・、やはり野良人の隠れ家、か?
謎だ、謎過ぎる!真相を知る者がいるならば、是非とも詳細を教えて頂きたい!
謎の封印区域については考えても分からないので、取り敢えず、探索を進めます。
次は、写真左端の扉の先へ進みます。2階では、リネン室があった部分ですね。
もしかすると、ここで漸く、寮棟へと繋がっているのではないかと期待を抱いて
扉の奥へと進んでみると・・・、
「客室(336)」
・・・くっ、やはり寮棟とは繋がっていなかったか・・・orz
ここにも客室があったとは・・・。因みに、こちらは扉を入って左側の部屋で、
先程の(335)号室とは非常階段を挟んで反対側、建物の最奥部分に当たる。
この「|」棟部分の客室は7.5帖の部屋が続いていましたが、こちらは6帖。
因みに、この部屋に落ちている「サンスポ競馬」新聞の日付は、
平成13年(2001年)8月19日の日曜日。
「客室(337)」
そして、こちらの部屋は、扉を入って右側の部屋。
こちらの部屋は3帖しかなく、最早、物置である。いや、実際、物置と化している。
因みに、これが「ホテル 甚五郎」の記事に於ける最後の客室である。
無駄に長かった客室の探索もこれで漸く終わりです\(^o^)/
「3階通路・その3」
336号室&337号室前、及び非常階段前からの景色。
やはり板張りの封印区域の謎が気になりますが、通路を戻ります。
どんどん通路を戻ります。
通路左側には、2階と同じく、配膳室がある。
「配膳室(ボーイステーション)」
避難経路図には、"ボーイステーション"と表記してあった。
「3階通路・その3」
それでは、再び、どんどん通路を戻ります。
「エレベーターホール」
エレベーターホールまで戻って来ました。
因みに、「コ」の字型で構成された建物の「 ̄」棟部分には4階は無い。
4階が存在するのは、この「│」棟部分のみである。
故に、他の階では「中央階段」で上って来ましたが、ここでは、
この「エレベーター階段」で4階へ上ります。
「エレベーター階段」
この階段は、先述した様に、エレベーターをぐるっと一周囲む様な構造と成っている。
故に、階段を少し上って右へ折れ、更に上って右へ折れて4階へ。
ホテル 甚五郎(4階)へ